大阪市立大学の歴史
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85総合大学・大阪市立大学の誕生 Ⅳ戦前〜米軍接収時代の杉本キャンパス 上のキャンパス図を見ると分かるように、現在全学共通教育棟や体育館、2号館等がある塀に囲まれた部分、すなわち旧教養キャンパス部分には、戦前は予科・高商部などがあった。全学共通教育棟の一部に当たる部分が高商部校舎、2号館が予科の校舎だった。 これらが、米軍接収時代には、それぞれ病院と病室として使用されていた。また、体育館は戦前も体育館だったが、接収時代には食堂として使われていたとのことである。(接収時代の状況については、朝鮮戦争で負傷し1952年当時に患者として入院していた米軍兵アル・スタチオ氏が、2001年に、昔を懐かしみ夫婦揃って来日来学し、当時の思い出を語ってくれた際に分かったもの。) このほか、上図を見ると、学術情報総合センターが出来るまでは図書館は、1号館があるキャンパス部分にあったことが分かる。病院として使用されていた米軍接収時代の教養キャンパス米軍接収時代の杉本町キャンパス図

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