大阪市立大学の歴史
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69戦争に向かう4つの源流 Ⅲたるの資質を錬磨育成すること」が進められることが「錬成」であり、すなわち「皇国民の錬成」という言い方が完成形であった。以降、この皇国民の錬成という教育理念の下、極端な国家主義・軍事主義の教育体制が実施されていく。この様な総力戦体制下において、高等教育は、どのように戦争に取り込まれていったのだろうか。 まず、本学の各源流の学則のなかに、「皇国民の錬成」概念や、国家主義的教育目標がどのように入っていったかを以下に見てみよう。 「皇国民の錬成」概念が最も顕著に取り込まれたのが、太平洋戦争開戦直前の1941年10月に改正された高等商業部の学則だった。第1条の目的の項に、「皇国有為ノ人材ヲ錬成」することが明確に掲げられている。 1943(昭和18)年3月に専門学校令が改定され、第1条目的規程に「皇国ノ道」、「錬成」の語が組み入れられた。すなわち「第1条 専門学校ハ皇国ノ道ニ則リテ高等ノ学術技芸ニ関スル教育ヲ施シ国家有用ノ人物ヲ錬成スルヲ以テ目的トス」(下線筆者付記)とされた。この改定によって、実業専門学校も専門学校に一括統合されている。 これとともに、本学の第2の源流―都島高等工業学校の1943年学則の目的にも、「皇国技術者」の「錬成」という目的が入り、1945年に都島工業専門学校、すなわち実業専門学校に改組された際には、専門学校令の文言にほぼ一致する表現で、「皇国ノ道ニ則リテ」、「国家有用ノ人物ヲ錬成」するとの文言が入った。 女子教育においても表現は「国民道徳」「婦徳」の「涵養」程度にとどまっているが、やはり時局を反映した改変が加えられている。 また、大学学部でも「皇国ノ道」「錬成」の語は見られないが、1941(昭和16)年の学則改正で、やはり目的に「国家思想の涵養」の文言が追加されている。「大阪商科大学学則」1941(昭和16)年2月改正(下線筆者付記)第1条 学部ハ大学令ニ依リ商業ニ関スル学術ノ理論及応用ヲ教授シ並ニ其ノ蘊奥ヲ攻究シ併セテ人格ノ陶冶及国家思想ノ涵養ニ努メ以テ負荷ノ大任ニ堪フヘキ指導的人材ヲ育成スルヲ目的トス

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