大阪市立大学の歴史
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58Ⅲ 戦争に向かう4つの源流や国家思想の育成をうたっているのに対して、商大の目的は単に「商業に関する理論」と述べ国家にとっての必要性には言及せず、後段でも国家に役立つ人材を育てるという表現を使って、国家思想の養成などの国家主義的教育色を薄めていることが分かる。 このような大阪商大色とでもいうべき教育目標を掲げた背景には、大学昇格に大いに貢献した当時の大阪市長関一が中心となって掲げた、大阪商科大学独自の設立理念があった。国や府県が設立する大学とは異なる、「市立」の大学を設置する意味・意義について強い思いがあった関は、同窓会主催の講演会講演「市立大学に就いて」(『大大阪』にも掲載)や「市立商科大学の前途に望む」(本書巻末に全文掲載)において、その設立意義についての理論を展開している。 大都市自身から考へ[れ]ば、年々著しくなる物質文明の弊のために、これが緩和剤となり、防腐剤となる精神文化の中心たるべき大学教育機関の必要が、日と共に痛感される。〈中略〉 元来大都市大学の主張する処は、その余りに進みすぎる営利的物質勢力のために、これが濫用悪化を防止すべき学問芸術の中心たるべき大学機関を要望するのである。〈中略〉都市生活には、必ずや不健全なる社会状態が発生しつつあるもので、之に対してはどうしても神聖なる学問の中心が特に必要である。 関の考える市立の(商科)大学設立の意義とは、主に以下の3点だった。 1)大学は大都市に必要な精神文化の中心的機関と位置づけられるため 2)そのために、「市民」の力を基礎として市民生活に密着した大学、国立大学の「コッピー」ではない大学が必要であるため 3)大都市・大阪を背景とした学問の創造という大学の任務があるため 従来の如き古い大学の型を模倣したものでは尚不十分であって、必ず市民の力を基礎として、市民の生活に最も緊要なる専門的の智識を授くると共に、市民としての一般的教養の機関でなくてはならない。〈中略〉 之を要するに、今や大阪市が市立商科大学を新に開校せんとするに当って、よく考へねばならぬ事は、単に専門学校の延長を以て甘んじてならぬ事勿論で

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