大阪市立大学の歴史
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57戦争に向かう4つの源流 Ⅲ高等商業部」が同時に設置された。この高商部と予科・学部一括りで「三位一体体制」と呼ばれる運営体制が採られた。すなわち、とくに大学設置当初の時期を中心に、商科大学長の高商部長兼務、教員スタッフの兼務や高商部卒業者の一部の大学入学許可など人材面や施設設備の物理面などにおける、高商部との密接な連携体制がとられたのである。このように「三位一体体制」が採られたのは、以下の「公立専門学校名称及定員ノ変更並ニ学則改正認可申請」の一文にもあるとおり、依拠する法律は違っていても、それまでの長い歴史的沿革や、何れも商業の高等教育機関である点を重視し、その効率的経営を図ろうとした大阪市の意図によるものであった。大阪商科大学ノ設立計画ハ事実上沿革古キ大阪市立高等商業学校ヲ基礎トスルモノナリ 高等商業学校ハ大学令ニ依ル大学ノ一要素ニアラサルハ勿論ナリト雖モ既ニ沿革上密接不離ノ関係アルノミナラス同シク本市ノ経営ニ属シ商業ニ関スル高等ノ教育ヲ施スモノナレハ其ノ施設ノ実際ニ於テハ両者相互稗補スルカ如クナラシムルヲ以テ適切ナリト信ス(以下略) まだ組織的に体制が整っていなかった大学設立当初には、この体制は大いに機能し、高商部教員が学部や予科を支援したことによって、商科大学の運営と教育が無事に軌道にのり、発展していくことが可能となったのであった。大阪市長関一の開学の理念と構想 大阪商科大学は、学則第1条において、「商業ニ関スル理論及ヒ応用ヲ教授シ並ニ其ノ蘊奥ヲ攻究シ兼テ学生ノ心身ヲ鍛錬シ人格ヲ陶冶シ国家有用ノ人材ヲ養成スル」(下線筆者付記)、すなわち商業に関する理論と応用を教え、その研究を行うと共に、学生の心身を鍛え人格を養って、国家に有用な人材の養成を行うことを目的とすると定めていた。 依拠する「大学令」では、大学の基本的性格を「国家ニ須要ナル学術ノ理論及応用ヲ教授シ並其ノ蘊奥ヲ攻究スルヲ以テ目的トシ兼テ人格ノ陶冶及国家思想ノ涵養ニ留意スヘキモノトス」(下線筆者付記)と定めている。これと大阪商科大学の目的とを比較すると、大学令が国家にとって必要な学問・技術の教育

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