大阪市立大学の歴史
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56Ⅲ 戦争に向かう4つの源流ニ学術研究上ノ資料極メテ豊富ニシテ、商工業ニ関スル高等教育機関ヲ設置スルニ最適ノ地タリ 而シテ従前本市ニハ工業ニ関シテハ政府直轄ノ高等工業学校アリ 商業ニ関シテハ本市経営ノ高等商業学校アリシモ、未タ最高教育機関タル大学ノ存在セサリシハ、本市民ノ頗ル遺憾トセシ所ナリ〈中略〉今ヤ大学令ノ改正ニ依リ、市ニ於テ公立大学ヲ設立シ得ルコトトナリタルヲ以テ、本市経営ノ下ニ新ニ商科大学ヲ設立シ、現在ノ高等商業学校ノ名称及学則ヲ変更シテ、右商科大学ト経営上ノ連絡ヲ保タシメ且適当ナル特別研究機関ヲ附設シテ、其ノ内容ニ特色アラシメ有為ナル人材ヲ養成スルト共ニ、実際界ノ指導機関トシテノ任ヲ尽シ、一ハ以テ国運ノ進展ニ貢献シ、一ハ以テ本市ノ発達ニ寄与スル所アラシメムコトヲ期ス(読点筆者付記) 大阪という一大商業都市にも商業に関する最高教育機関たる大学を設置し、すでに教育を実践している高等商業学校を引き継ぐ大阪商科大学高等商業部との連携を図りながら、国の進展や大阪市の発展に寄与する有為な人材を育成するとともに、特別研究機関(経済研究所)も設置し、それら三つを一括して大阪市が設置・運営していくということを述べている。 設立資金の内150万円を大阪市起債によってまかなった。実に設立資金250万円の内の6割に当たる金額であった。開学当時の全体構想 前述の通り、大阪商科大学は、全国で初めての「市立」の大学であり、商科のみの単科大学であった。中心となる「学部」のほかに、その学部に入るための準備教育を行う「大学予科」と大学院の「研究科」からなっていた。旧制の高等学校(戦後の新制高等学校とは異なり、高等教育機関として位置づけられるもの)は、当時、全国で20数校しかなく、基本的に帝国大学のための予備教育を行う帝国大学進学ルートとしての機能が強かった。そのため、大学令以降に認可された公立・私立大学は自らの入学者の確保のために、予科を置くことが通例であった。 大阪商科大学自体は上記の3組織(学部・予科・研究科)から成っていたが、このほか、大学設置の基礎となった高等商業学校が改変された「大阪商科大学

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