大阪市立大学の歴史
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55戦争に向かう4つの源流 Ⅲ3.大阪商科大学開学の理念と特徴 大阪商科大学の設立理念と当初に構想された体制はどのようなものだったのか。ここで、ふたたび、大阪商科大学の流れに戻って見ていくこととしよう。大阪商科大学設立の趣旨 前章で見たとおり、大学令の改正(市による大学の設立)が認められたのち、大阪商科大学は1928(昭和3)年3月16日に創立された。開学にあたっては、それに先立つ1926(大正15)年から玉木三郎教授ら7教授が委員となって、創設事務の立案・処理に当たってきていたが、学則要綱案を1926年にまとめている。開学にあたって特筆すべきは、名称を「大阪商科大学」として、「商業」「市立」の語の使用を避けている点である。「商業」大学としなかったのは将来の総合大学化を見こしてのことであり、「市立」の語を含めなかったのは設置者を名称に含めない当時の慣例にのっとったものであった。 さて、3月の開学に先立つ2月には、設立認可申請および教員数・定員・学則などの制定・改正のための申請書が、大阪市長から文部省宛に提出されている。このなかの「公立大学設立認可申請」に付された「大阪商科大学設立趣意書」では、以下のように趣旨が述べられている。 大阪市ハ我国ニ於ケル商工業ノ最大中心地ナリ、従テ商工業ニ関スル教育並補習科1年補習科1年〈実業学校令・職業教育規程・高等女学校令にもとづく女子教育機関〉〈中学校令に基づく大阪市最高の女子教育機関〉(昭和16~26)(大正14~昭和15)(大正10~13)大阪市立高等西華女学校大阪市立西区高等実修女学校大阪市立西華高等女学校本科5年専攻科3年【1921~1924年】【1925~1940年】【1941~1951年】本科4年専攻科2年本科4年高等科3年専攻科2年図Ⅲ-1:大阪市立西華高等女学校に至る学制変化

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