大阪市立大学の歴史
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41商科大学昇格への道と第2・第3の源流 Ⅱに同校内に設置された市立大阪工業研究所に移管された。) このような実験・実習の重視と、市民・社会への教育の開放という姿勢は、大阪商業講習所から続く大阪商業学校の特徴とも相通ずると指摘できよう。また、実験・実習の重視、市民・社会への教育の開放という、現在の大学においても大きな課題ともなっている方向性が開校当初から見られ、当時からそれらに積極的に取り組んできたという姿勢は注目すべき点であろう。 初代校長の堀居は、日英博覧会を機会にイギリスに自ら出張して、6ヶ月にわたって工業教育と実験工学との関係を視察したり、同校の教諭を4年にわたって海外留学させたりした。 また堀居は、大阪工業学校の主義・教育方針として、以下の3点を挙げている。 1)教授について当時の工業教育上の欠陥であった「教授法を改正」し、欧米先進国に倣って「実験工学制」を採用し、「工業者の確実なる基礎的知識の徹底」をはかるために、「ラボラトリーの設備」を整え、「絶えず実験的に学科と実習との連絡応用を緊密」にしようとした。 2)訓育について「円満な人格を養成」し、「努めて完全な自治の精神を涵養」し、「善良なる国民」となることを期待した。 3)学校経営について校舎を公開し、諸般の設備を利用させて、努めて「社会の実際に接近し教育の効果を増大」させようとした。 1)と3)から、実験・実習の重視、市民・社会への教育の開放という同校の特色が、堀居の教育理念・経営理念に基づくものであったことがうかがわれる。堀居 左五郎

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