大阪市立大学の歴史
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21大阪市立大学のあけぼの:第1の源流 Ⅰ そのようななかでは、英語教育については「割合に進んでいた」ようであり、日本語の分からないネイティブ教師を雇い、英語会(English Conversation Meeting)なども組織された。実際に社会に出てから、通訳や英語での帳簿整理・外国人との交渉も行えるほどの力がついたとされている。 具体的な規則の改訂内容は以下の表の通りである。 入学試験の実施をうたい、入学資格も14歳以上に引き上げられた。学科目も多様になり、学年によって変化させた。授業料も大阪区部とそれ以外で分けた。また、科目のその他の特徴としては、この改正から体育が加わっている点が挙げられるが、これは当時の他校のカリキュラムにも見られるものであり、初代文部大臣となった森有礼の意向の影響が大きかったと言われている。 上記にくわえて学校制度改革の一環としては、校務商議員が新たに設置され、大阪財界の有力者3名(藤田伝三郎、広瀬宰平、玉手弘道)が議員を委嘱された。 また、成瀬が一旦離阪するにあたって、菊池侃二が校長となった。菊池は著名な在野の法曹家かつ府会議員だった。しかし府会議員の府立学校長兼務が批判されたことを受けて3ヶ月で辞任し、後任に元大阪商業講習所長の伊庭貞剛が就いた。表Ⅰ-3:府立大阪商業学校〈正科・附属科〉1888(明治21)年改訂規則概要正科目的「主として内外商業に関する必須の教育を施し将来商務を処理経営すべきものを養成する所」とする入学資格満14歳以上で、「品行端正志望確固身体強健」で、「学業試験に合格すべき学力を有するもの」。ただし、「学力志行共に優秀」なものはこの年齢に限らない定員予科・本科あわせて250名修業年限・教育課程修業年限は予科・本科それぞれ2年通算4年学科目(本科)英語(誦読・会話・作文)、商用作文、商業算術、簿記、商業地理(本科1年)・商業歴史(本科2年)、商品(本科1年)・経済、統計(本科2年)、法規、商業実践(本科2年)、体操入学金・授業料授業料は大阪4区内在籍者および区内への全戸寄留者月額60銭、それ以外の者月額1円(ただし、50円以上の寄付金主の子弟は授業料免除)附属科目的大阪4区内在籍者で、本校予科に入学しようとしている者に必要な学科を授けるところとする学科目英語・和漢文・習字・作文・数学・体操修業年限・教育課程1年入学金・月謝授業料月額30銭

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