大阪市立大学の歴史
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16Ⅰ 大阪市立大学のあけぼの:第1の源流のみの設置へと見直し、新しい教則を持参の上、矢野(この頃、吉良から改称)所長心得が文部省に説明を行い、また、補助金についてもあらためて要請をした。その結果、「大阪商業学校」設置は認められ、文部省からも備品請求費2000円という巨額の補助も得ることが出来た。 以上のような曲折を経て、1885(明治18)年3月、府立大阪商業講習所の設備・教職員をそのまま引き継いで、「商業学校通則」第1種規程に基づく府立大阪商業学校として、新たな出発を迎えることとなった。その規程は以下の表の通りであった。 講習所時代と比べて大きく変わったのは、学科目と入学金・授業料であるが、従来大阪市内在籍者および速成科は無料だった授業料が課されたにもかかわらず、入学者が急増(1886年3月時点で正科200名、速成科90名)した。  この背景には、商業学校となったことを機に、矢野校長心得を中心に、思い切った「校風刷新」が図られたことがあった。すなわち、府立講習所時代末期には、生徒の勉学意欲が低下して出席率も低くなり、「はなはだ不振」な状況に陥っていたが、卒業の見込みのない72名の生徒を退学させ、新たに76名を入学させるという大きな改革がはかられた。これによって、学校の雰囲気は一新され、争って良い成績を取ろうという活気ある状況が生まれたとされている。また、教職員も自ら教科書を編纂するなど、教育改善に努力した。 先述の文部省からの巨額の補助金援助をはじめとして、財政面も急速に改善した。文部省御用掛であり、のちに初代文部大臣となる森有ありのり礼が来阪時に熱の表Ⅰ-2:府立大阪商業学校〈正科・附属速成科〉1885(明治18)年規則概要正科目的「商業上必需の学科を授けその実技を習熟錬磨せしむ」とする入学資格満13歳以上で、小学校中等科卒業、またはそれと同等以上のもの学科目修身・読書・習字・算術・簿記・商業書信、商業地理、商品、商業経済・図画・物理・英語・商業実習の13科 (『商業学校通則』で定められているものに加えて図画・物理・英語)修業年限・教育課程3年 (『商業学校通則』の限度いっぱいの年限) 6級にわける入学金・授業料入学金1円(ただし、寄付金主の子弟は無料)、授業料は月額30銭教科書・器具貸与するが、借料を徴収附属速成科(1886年に廃止)目的「家業に忙はしく昼間正科に就き修業の余暇なき者の為」に設けるため、その課程は「簡易」にする学科目簿記・算術の2学科のみ修業年限・教育課程1年半(正科の半分) 3級に分ける入学金・月謝入学金50銭、授業料20銭

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