大阪市立大学の歴史
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12Ⅰ 大阪市立大学のあけぼの:第1の源流たが、後に、大阪毎日新聞社の専務取締役となった。 翌1882(明治15)年の1月からは、府の学務課から勧業課の管轄に移され、あらためて教員が再配置され、講習所の創立員にも名を連ねていた伊庭貞剛が所長となった。所長心得だった山本は教頭に任命された。伊庭は、住友の大番頭だった広瀬宰平の甥であり、後に住友本店の総理事となって、住友財閥を指導した人物である。 さて、このとき校則が改定され、正則生徒の定員が50名とされた。また、校舎の拡張もはかられ、2階のみを使用していた旧府会議事堂の建物全館を使用することとなった。 当時改定されたと思われる「大阪商業講習所正速両科改正規則」によれば、正科と夜学速成科は以下のような規定となっていた。 上記表からもわかるように、正科にも夜学速成科にも「実地演習」が含まれており、山本教頭が中心となって、「実地演習」を重視した教育が進められた。これは私立講習所時代から引き続く伝統であったと言えよう。「実地演習」は、3週間など一定期間集中して実施され、その様子は公開され、市民も自由に見学することが出来たようである。 また、山本教頭は「商売人はどこまでも商売人らしくという主旨から前垂掛けを奨励」し、生徒たちに世間一般の「書生」のようには振る舞わせなかった、と伝えられている。このほか当時のエピソードに、授業のない土曜の晩を利用表Ⅰ-1:府立大阪商業講習所〈正科・夜学速成科〉1882(明治15)年規則概要正科目的「実地商業に適切なる学芸を講習し善良なる商賈を養成する」入学資格満13歳以上で、小学中等科卒業、またはそれと同等以上のもの学科簿記・算術・修身・経済・和漢文学・地理物産・商律・習字・外国語学・実地演習修業年限3年教科課程6級に分けて教科課程が定められた。学力未熟で本科に入れない者のために予備科も設置入学金・月謝大阪市内に在籍の者は無料。それ以外は入学金1円、月謝30銭教科書・教材たいていのものは貸与夜学速成科目的「簡易速成」を目的とするため短期間での教育入学資格商家もしくはその他の雇にして、昼間に暇なきものに限る(勤労青少年対象)学科簿記・算術・実地演習修業年限1年半(正科の半分)入学金・月謝大阪市内に在籍の有無を問わず、「すべて無料」

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