大阪市立大学の歴史
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10Ⅰ 大阪市立大学のあけぼの:第1の源流 このことは、有志の出資だけでは今後の安定的かつ永続的な運営が困難であると考えられたことを背景としている。また、そもそも、私立の大阪商業講習所として「仮」に設置したが、それは、あくまでも「公立への過渡的措置」であって、商業をはじめとして「諸学科の専門教育」は公共事業であり、本来「官府」によって維持運営されるべきとの五代らの考えがあったとされている。 これに対して翌月には府知事からの回答があり、有志者の寄付金額を確定した上で、改めて願い出るようにとの指示がなされた。これを受けて、同1881年7月には、五代・門田以下の創立員(若干名が入れ替わって、今回は14名2企業)らは「府立大阪商業講習所設立御願」を府知事建野郷三に提出した。  創立員の中で多額の寄付金を供出したのは、何と言っても門田であった。彼は、毎年度200円を支払ううえに、さらに一時金である創立費の300円追加寄付するとの申し出も行い、実際には1881(明治14)年に900円を支払っている。また、私立時代の講習所運営にあたって、門田は、実際に全体の7割以上の多額の運大阪商業講習所創立員(代理人などを含む)鴻池 善右衛門住友 吉左衛門(第12代友親)廣瀬 宰平伊庭 貞剛杉村 正太郎大三輪 長兵衛渋谷 庄三郎渋谷 正十郎安田 源三郎藤田 伝三郎平瀬 亀之助他の創立員 広野九良右衛門/中野悟一/河口淳/鍋釜鋳造会社/醤油商社

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