大阪市立大学の歴史
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9大阪市立大学のあけぼの:第1の源流 Ⅰ1日の授業時間は6時間だった。試験は4・8・12月の年3回、小試験は毎月末に実施された。卒業年限は個人の学力によって1年未満〜3年と幅があるが、平均卒業期限は1年半だった。 所長の桐原の他に、教師は、5名(木村復次・安部昇・山本鏗一・細井精義・尾崎久蔵)だった。このほかに、事務員1名をおき、門田と河口淳の2名が「発起者総代兼庶務取締」の任にあたった。 東京の商法講習所が外国人の教師を招いて開設されたのに対して、大阪では、全員が日本人教師だった点に、その特徴が指摘できよう。3.大阪府による運営―公立学校としての出発大阪府への移管手続き さて、ここまで見てきたように、商業講習所は開所当初は地元の財界人たちの出資によって成り立っていた私学だった。では、いつから、公立の運営になったのだろうか。 私立の大阪商業講習所が開設された3ヶ月後の1881(明治14)年2月には、早くも講習所の大阪府移管の動きが起こっており、私立大阪商業講習所創立員連名(五代以下15名2企業からなる)の意見書『公立大阪商業講習所設立建言』が、創立員総代の門田三郎兵衛・河口淳の2名から、大阪府知事宛に提出されている。 そこには、発足直後でまだ設備・内容の整備が不十分であるにも関わらず、1月にはすでに生徒数が100名を超えていることをあげて、大阪における商業教育の潜在的なニーズが高いことを指摘している。なおいっそうの保護を加えて充実をはかれば、「当府下商売一般ノ便益」になるだけでなく、「全国後進ノ商人子弟」の教育にも役立つ、すなわち、大阪府にとっての商業の発展のみならず、全国の商業に携わる者の教育に役立ち、「商権恢かいふく復ノ稗ひほ補ト為ル」、すなわち日本という国の商業・経済面における権利の回復・国際的自立にも寄与するだろう、としている。そのために、私立大阪商業講習所の資金・書籍・器具・教員すべてを寄付する代わりに、「官府ノ御保護」のもと公立大阪商業講習所として永続的な経営が可能となることを強く望んだ。

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