大阪市立大学の歴史
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資料185ど、差当りかなり長い期間にわたつて甚だ複雑な状勢の中を切り抜けつつ、多大の困難と障碍とたたかいながら進んで行かねばならぬというのが、日本国民にあたえられた運命である。だから、今後のわが国において要求される産業人は、人間的な、また国民的な教養をもつていると同時に、職域に応じた専門的教養を身につけており、複雑多難の社会的・経済的環境の中に堅実な経済活動をいとなむ能力をそなえていることが要請されるだろう。大阪市大の商学部は特に経営学の方面の研究に力を注ぐと共に、基礎的な一般的教養を土台として経営学的能力を体得せる、新しい型の産業人を養成して行くことを念願している。 なお従来大阪商科大学に附設されていた経済研究所は、最近大阪市立大学の研究機関として再発足することとなり、その機会に施設が整備拡充される運びとなつた。研究所はひろく日本の国民経済全般に関する研究、調査をも行うけれど、特に大阪の産業的発展のために役立つような研究、調査を行うことに努め、且つ市政の振興、発展に寄与すべきような事項についても研究、調査を及ぼすことを期している。研究所は大阪の一般産業界との接触をたもち、種々のサーヴイスを提供することに努めると共に、学内にあつては商学部ならびに経済学部における学問的研究との間に有効な交流をはかり且つ両学部における理論の研究と産業界における経営の実務との媒介をはかることも、研究所の任務として重きを成すであろう。七 法律学および政治学の諸分野にわたる研究・教育を使命とする法学部、また哲学、社会学、心理学、史学、文学、等々の諸学問の研究・教育を使命とする文学部、これらの2者のいずれかを欠いているのであつては、真実の意味における綜合大学は成立し得べくもない。しかも、これらの2学部を創設することが決して容易な課題でないことも明白である。はじめ大阪市立大学設立についての審議が進められるに当つて、すでに国立の大阪大学において法学部および文学部の増設が着手されていることであるから、それと平行して市大において同種の学部を設けるにも及ばなかつた。しかしながら、多数の綜合大学が東京に集中して偏在しているのと比較するとき、わが国における第2位の大都市たる大阪の実状は学問的文化の上から余りにも遺憾であると考えた私たちは、真に綜合大学の実質をそなえた市立大学を創設することの必要を力説すると共に、最初から法、文の2学部を置く困難な仕事を避けて、法学科および文学科をもつ法文学部を置くという、過渡的に妥当と思われる案を立てた。幸わいにして此の立案が採用され、大阪市立大設定の基礎となつた諸学校の教授および助教授諸氏の外に、あらたに諸方面から有能適任の教授および助教授を迎えて、法文学部が発足したわけである。 各学部を通じて学生が一般教養科目を学修し、これを基礎として特殊専門科目を学修するということが、新制大学の一大特色を成すものである点については、前号において力説したのであるが、一般教養科目に関しては特に法文学部の教授、助教授諸氏の労に俟つところが多大であり、かような観点から見ても法文学部が存在していることは新制大学の特色を発揮する目的に寄与するところが少くないであろう。 昭和3年に大阪商科大学が発足した当時、河田学長は経済学および商学の研究・教育が法律学の研究・教育と緊密な連関において行われる必要のあることを高調し、特に法律学の教授陣を充実す

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