大阪市立大学の歴史
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184資料志向に基くものに外ならない。六 以上においては大阪市立大学の一般的構想について概説した次第であるが、次には各学部の意図するところか(ママ)その特色などについてあらまし述べたいと思う。 諸学部の中で相互のあいだに特に密接な連関をもつて居り、謂わば姉妹学部のような関係に立つているのは藤田敬三氏を部長として設置された商学部と福井孝治氏を部長として設置された経済学部との2者である。 前にも述べたように、終戦当時の我国においては僅かに二つの公立大学、すなわち京都府立医科大学および大阪商科大学が存在していただけであつた。全国の数多くの都市の中で独り大阪市だけが大学を設立し経営して居り、しかもそれが経営学および商学の方面の研究ならびに教育に重点を置くところの商科大学であつたということは、いかにも大産業都市たる大阪市にふさわしい事態であつた、と考えられるであろう。戦後あたらしく定められた学制に則つて大阪市が綜合大学を創設するに当り、商学部および経済学部の2学部がその中に含まれることとなつたのも、大阪市の独自の性格を反映するものに外ならないのであるが、明治13年に大阪商業講習所として誕生して以来実に70年にわたる成長の歴史をもつ大阪商科大学の学問的伝統は、形を変えて大阪市立大学の商、経両学部のうちに活かされねばならぬ筈である。 ところで、故河田学長の提唱に基いて、大阪商科大学は実証的研究を重んずる学風を樹立して来たのであつて、教育の面においてもおのずと学生として理論的知識の学修と応用的又は技術的知識とのいずれか一方のみに偏することなからしめる事に意を用いたものである。此のような伝統的方針は大阪市立大学の商、経両学部がまさに自覚的に継承しようと意図するところであつて、研究の面においても、教育の面においても、現実に即した理論の研究ならびに教育を重んずると同時に、理論に立脚した応用的又は技術的知識の研究および教育を重んずる学風が新しい制度の下に一層確立されるに至るであろうことが志向されている。 大阪が大産業都市として占める独特の地位は、国内経済の面から見ても、国際経済の面から見ても顕著なものであるが、ことに以前の時代から大阪は国際経済の面において重要な役割を演じて来たことは周知の事実である。しかも、海外の諸領土をすべて失つた戦後の日本は、その存立を維持して行く為に以前の時代に比べて一層高度に輸出入貿易に依存せざるを得ないこととなつたのであるから、国際経済の面から見た大阪の産業都市としての存在意義はいよいよ重大となつたわけである。かような事情にかえりみて、大阪市大の経済学部は国際経済乃至は世界経済の方向における研究に特に力を注ぐと共に、国際的又は世界的視野をもち、国際的経済的又は世界経済的知識をそなえた産業人の養成ということに努める意図をもつている。さらに、世界を通じて現代は国民経済も、国際経済も、大いなる構造上の変動・発展を遂げつつある時代であつて、経済学の諸分野における研究は絶えず斯かる現代的経済生活の目ざましい進動に即して行われることを要するわけであり、経済学部における研究ならびに教育は此のような要請を出来るだけ充分にみたすことを期している。 日本の前途は、遠い未来のことを考えるならば明るい希望にみちたものであると予想されるけれ

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