大阪市立大学の歴史
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182資料数倍にのぼる多数の大学を新設したのであつてすでに国立大学の数は65校となつている。国家が65の大学を経営するのと比較すれば、ただ一つの大学を経営すると云うことは大阪市にとつてあまりにも過度の負担だとは考えられないであろう。 それはともあれ、大阪市が多額の財政的負担にもかかわらず大規模の綜合大学を創設し、今後その経営を続けて行くと云うからには、一方では、文化国家としての日本の全国的発展のために貢献し得るような大学たるべきことが要望されると共に、他方では文化的産業都市としての大阪市の復興・発展のために役立ち得るような大学たるべきことが要請されるものと云わざるを得ない。四 大阪市立大学創設に対する契機を成したものは6・3・3・4の新しい学校教育制度の実施であり、その最後の部分たる新大学制度に対応するために、大阪市は大阪商大、市立医大、等々を基礎として綜合大学の創設を企てたものと視ることができる。ところで、敗戦後、従来の学校教育制度を検討した上であたらしい学校教育制度が樹立されたのは、ひつきよう種々の欠陥にみちていた従来の日本を革新して、平和的民主国家としての新しい日本を建設して行く歴史的大事業の達成の根本目的に適応した学制による教育を実現しようとする意図に基くものに他ならない。だから、大阪市によつて設立され、経営される大阪市立大学は、日本の全体的発展のために寄与し得ると同時に、特に大阪市の復興・発展のために寄与し得るような大学として成長すべきことが要請されるという場合においても、従来の日本や従来の大阪市とは根本的に面目を異にするところの、言いかえると、全国民が幸福と自由とを享受するような日本、また全市民が幸福と自由とを享受するような大阪市の建設のために貢献すべきことが要請されるのであることを充分に理解しなければならぬのであつて皮相的な、俗流的な見解に基づいて大学の果たすべき使命の内容ならびにそのいとなむべき機能の何たるかを判断すべきではない。若しも新しい大学制度によつて成立した大学に課せられた使命の正しい認識に立脚することなくして大学の大学としての活動が続けられるならば、旧態依然たる日本の社会の存続のために役立つだけであつて学制改革の根本義はいたずらに没却される結果にみちびく外はないであろう。 正しい合理的精神によつてみちびかれる場合においてのみ、あらゆる学問的研究、あらゆる学問的教育はその本来の目的を達成し得るのであつて、大学における研究ならびに教育が飽くまでも正しい理性のはたらきによつて行われねばならぬことは明白であるが、文字通りに学問のための学問、教育のための教育を事とすると云うようなことは、学問ならびに教育の正しい在りかたでは決してあり得ない。大学における研究が単に直近の応用的、技術的方面のみに向けられ、大学における教育がひとえに特定の職業的能力の養成のみを旨とするのであつては、大学は存在意義は空しいものとなつてしまうのであつて、大学においてこそ純粋な理論的研究がさかんに行われ、且純粋な理論的知識の教育が行われることを要するのであるが、しかも、社会生活のさまざまの分野における実際的目的のために理論的知識が適切に、有効に役立てられることを可能ならしめる媒介的役割を担当するところの応用的・技術的学問の研究ならびに教育がさかんに行われるのでなければ、大学の使命は満足に果たされることが出来ない。この点に関して、従来のわが国の諸大学は、とかく社会の現実から遊離した在りかたをたもちがちであつた、と非難されている。大阪市立大学はあらたに

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