大阪市立大学の歴史
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資料179必要は、何人も異論のないところである。併し此の目的を達するには、従来の如き古い大学の型を模倣したものでは尚不十分であつて、必ず市民の力を基礎として、市民の生活に最も緊要なる専門的の智識を授くると共に、市民としての一般的教養の機関でなくてはならない。勿論これは大都市としての生活上のみならず、国家全体の上から見ても必要な機関であるが、在来の大学よりも、更に一層都市生活と結合した一般的並に専門的の教育機関を設置すべき必要がある。従つて各種の専門学校又は大学卒業後、都市に於て実社会に立つ者に対しても、時勢の変化や、学術の進歩に伴ふ新智識と刺激とを与へる教育機関として、明確に特色ある市立大学を建設する必要が生れて来ると思ふ。単に商科大学を新設すれば、それで結構だと言ふのではない。市の有機組織の中に編込まれた、別箇の嶄然特色ある大学、即ち設立した都市の経済生活、及び精神生活と決して離るべからざる関係を有する学問上の中枢機関としての市立大学を新設せなければならぬ。かくしてこそ大阪市民は軽からぬ特別の負担を敢てして、市民の力による大学設立の先鞭をつけることが出来たと天下に誇り得るのである。 之を要するに、今や大阪市が市立商科大学を新に開校せんとするに当つて、よく考へねばならぬ事は、単に専門学校の延長を以て甘んじてならぬ事勿論であるが、又国立大学の「コツピー」であつてもならぬ。固より大学と言ふ以上は単純なる職業教育だけでは満足が出来ぬ。学問の研究が中心であると共に、その設立した都市並に市民の特質と、その大学の内容とが密接なる関係を保つべきことを忘れてはならない。其設立都市の有機組織と其都市の市民生活の内に市立大学が織込まれなければならない。併し決して市民に迎合せよと言ふのでもなければ、早く間に合ふ卒業生を送出せよと願ふのでもない。若しそれだけの目的ならば専門学校で沢山である。市民の市立大学である以上、其の所在都市の文化、経済、社会事情に関して、独特の研究が遂げられて、市民生活の指導機関となつて行かねばならぬと思ふのである。大阪市立大学は学問の受売、卸売の市場ではない。大阪市を背景とした学問の創造が無ければならない。此の学問の創造が学生、出身者、市民を通じて、大阪の文化、経済、社会生活の真随(ママ)となつて行く時に、設立の意義を全くするものである。 私が茲に一言付加へねばならぬことは、本大学設立の為め大阪高商出身者諸君が特に努力せられたことである。出身者諸君は一方此大学令改正に就て政府当局の理解を得ることを勉められたと同時に物質的にも犠牲を払ふて既に相当の基金を集めて将来の大学の発展に寄与せられんとして居る。尚将来本大学に附設せられるべき経済研究所は野村徳七氏の寄付によつて其基礎が定まつて居る。此基金や研究所は本大学の特有の使命を果たすに重要なる役目を帯びて居ることは疑を容れない所であると思ふ。 学問の受売は易いが、学問上の創造はむつかしい。市立大学の色々の障害も除かれて、今日漸くその開校の運びには立到つたが、大学の真の事業は、是からその第1歩を踏み出すのである。教育事業に深い理解と後援を惜まない大阪市民の力によつて、初等教育の各種の学校は、今日他の都市の追蹤を許さぬ程の発達を遂げたが、冀くは市立大学の経営にも、又市民の熱誠な後援を俟つて、天下に範を示すに足る大都市大学の成果を収めたい。而して市民と共に、大阪市がかゝる大学機関を有つことを誇としたいものである。

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