大阪市立大学の歴史
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174むすびに探求し、成果を市民と社会に還元しようと努めてきた。それを市民の大学としての積極的伝統といってもいいであろう。それは、戦前以来さまざまな形で育まれたものであり、「大阪市立大学らしさ」といわれるものと結びついてきた。 創立140周年を迎えた大阪市立大学は、現在、大阪府立大学と統合する新大学への移行準備を進めている。かつての関一大阪市長は、大阪商科大学開学時に「固より大学といふ以上は単純なる職業教育だけでは満足が出来ぬ。学問の研究が中心であると共に、その設立した都市並に市民の特質と、その大学の内容とが密接なる関係を保つべきことを忘れてはならない。其設立都市の有機組織と其都市の市民生活の内に市立大学が織込まれなければならない。併し決して市民に迎合せよと言ふのでもなければ、早く間に合ふ卒業生を送出せよと願ふのでもない。若しそれだけの目的ならば専門学校で沢山である。市民の市立大学である以上、其の所在都市の文化、経済、社会事情に関して、独特の研究が遂げられて、市民生活の指導機関となって行かねばならぬと思ふのである。」と述べた(関一「市立商科大学の前途に望む」(『大大阪』第4巻、4号、1928年4月))。教育と研究の渾然一体化、学問の自由を内容とするフンボルト理念を現代の大学において実現するに当たっても、大阪の置かれた現状から鑑みて、大阪市立大学はこれまで範囲としてきた大阪市の範囲を越えて、教育、研究し、地域貢献していくことが求められるのである。 そのためにも、まずは本学での勉学を志す「学生」(そこにはまだ見ぬ学生も含まれる)とのコミュニケーションを中心に、多様なステイクホルダーとの関係を重視した「ユニバーシティ・コミュニケーション(UC)」を進めていくことが望まれよう。公立大学法人・大阪市立大学は、大都市・大阪市を含めた大阪、そして広く一般社会のために教育・研究をおこなう機関として、さらなる飛躍に向けて発展することが期待されるのである。

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