大阪市立大学の歴史
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173むすびむ す び 大阪市立大学らしさとは何か? 本書冒頭で提示した上記の問いの答えは、見えてきただろうか。 4つの源流および戦後の大阪市立大学に共通してみられる特色はあっただろうか。 それはたとえば、実学的・実践的学問の伝統であり、演習や実験の重視であり、教育現場の市民への公開や、国家色が比較的薄く反体制的でリベラルな傾向、関西以西を中心に集まる学生など、教育制度や内容の特色なのか。あるいはそれは、教育の発展変化にその時々にかかわった人々の抱いた理念や積み重ねてきた実践から見えてくるものだろうか。 戦前の歴史は、商学・工学・家政学(女子教育)・医学の各分野の教育が大阪市に生まれ、それらが中等教育機関から高等教育機関へと発展していく系譜であった。それは、総合大学大阪市立大学として成立していく基盤となる歴史でもあった。 これまでに述べてきたように、大阪商科大学建学の際に関一市長は「市立大学は『国立大学』のコッピーであってはならない」と述べた。大阪市立大学開設の際の近藤博夫市長は「大阪市立大学は大阪カラーの豊かな大学にしたい。同時に大阪市は大学カラーの豊かな、知的な文化都市にしたい」と述べ、それに対して恒藤恭学長は「理論と実際との有機的な連結を重視する学風をかたちづくって行く」と応えた。まどろっこしいほど手間暇をかけた「大阪市立大学基本計画」は「創造性豊かな都市型総合大学」として、その後のあり方を形作り、多くの学生が集う学術情報総合センター等新たな設備を生んだ。志全寮廃寮を決定する際に、「正常化にとって今が正念場である、大学は今こそ管理責任を果たすべきである、暴力や脅しに屈服してはならない」という思いでその事態を乗り越えた。そして、2020(令和2)年11月、大阪市立大学は、大阪商業講習所開設以来、140周年を迎える。 この長い歴史の歩みのなかで、大阪市立大学は時代を先取りする大学の将来像を幾度か構想し、自己変革を試みて、社会の要請に、真剣に誠実に応えようとしてきた。そして、時代が提起する課題への学問的解答を根本的かつ実際的

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