大阪市立大学の歴史
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150Ⅶ 21世紀を迎えて奮闘する大阪市立大学 このような財政緊縮は、関淳一市長(2003年~2007年)・平松邦夫市長(2007年~2011年)時代から始められた、大阪市における市政改革の進行が関係していた。砂原庸介のいう、国政での与野党の「相乗り」、都市官僚制の論理の機能した「オール与党体制」からの脱却を模索し出した(『大阪―大都市は国家を超えるか―』(中公新書2012)。具体的には、①マネジメント改革として、「身の丈改革」と称し、経常経費の圧縮(「経常経費2割削減=当面5年間で900億円削 減)、投資的経費の追加的圧縮、特別会計の改革、管理団体への委託料の見直しで市政改革から都市経営への転換を図り、②コンプライアンス改革として、この当時マスコミで連日報道された「ヤミ年金」、「カラ超勤」、「職員厚遇」問題の解決を図り、③ガバナンス改革として、局の縦割り体質の改善、区政改革、不健全な労使関係の改革を目指した(大阪市『市政改革マニフェスト(市政改革基本方針)平成18年2月』(2006))。大阪市立大学の現在の「中核」はどのようにつくられたのか 以上のように、財政ひっ迫はあったものの、大阪市立大学はその「中核」を確立し、自律した運営体制を整備していった。 まずは、2010(平成22)年3月、大阪市立大学憲章を設定し、それを指針としての中期目標、中期計画の検討を開始した。大阪市立大学憲章(抜粋) 大阪市立大学は、市井の精神に発した、自主独立・自由進取の気風あふれる建学の伝統と、国際的にしてかつ個性的な研究および、高度にしてかつ闊達な教育環境を有する国内有数の大学である。 大阪市立大学は、この卓絶した伝統と現在に誇りを持ち、これに基づく固有の理念と使命を掲げ、あらゆる大学に普遍の理念や使命と調和させ、本憲章を未来に向けての行動指針とする。それは、真善美の価値判断を身につけ、英知と市民的公共性を備えた有為な人材を育成するとともに、基盤研究を重視しつつ、都市に収斂するあらゆる現代的諸問題を、人類普遍の喫緊の課題の一つととらえ、大阪市をはじめとする地域社会と連携しつつ、不断に創造的な思考を重ねていくことによって、その解決に邁進する

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