大阪市立大学の歴史
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148Ⅶ 21世紀を迎えて奮闘する大阪市立大学 第3に、他の公立大学でみられた設置者による大学の大幅な改変に対する危惧である。大阪市立大学と並んで旧帝大に伍すると考えられた公立大学の雄である東京都立大学、横浜市立大学では、設置者から、明確に位置づけを与えられた。設置者が地方自治体である以上、その地方自治体との関係は緊密であることは免れないが、例えば、東京都立大学の場合は「都民にとっての存在意義を明確にするため、めざす大学像と取り組む教育研究の重点を明らかに」して統合・再編され、名称も首都大学東京と改められた。横浜市立大学の場合には、「横浜市立大学の存在意義は、国立大学・私立大学と異なり、教育・研究・運営そのもの、換言すれば大学の存在そのものが、横浜市・市民・産業界に寄与していること。横浜市などへの寄与を明確にできるよう、教育・研究分野やカリキュラム、部局構成・運営形態を再構築する」ことを求められて再編された。両大学とも、従来の学部は大幅に統合され、一般的教養人の養成が柱に据えられた。それぞれの設置者における東京都立大学、横浜市立大学の位置づけと、大阪市における大阪市立大学の位置づけは必ずしも同じではなかった。しかし、折りしも2001(平成13)年3月、大阪市は厳しい財政状況下での安定した財政と効率的な行政運営をめざした「新行財政改革計画」を発表し、秋には職員の削減計画を明らかにした。2004(平成16)年頃からの大阪市に対するマスコミによる厳しい批判が相次いでいた。大阪市立大学は改革に対する取り組みを避けられなかった。 以上の状況のなかで、大阪市立大学は、より機動的な大学運営をめざして公立大学法人化を選んだ。ちょうどこの頃、設置者である大阪市は財政問題、コンプライアンス問題のために市政改革を断行するところであった。その後、その改革の流れを引き継いだ大阪府市の政治交代の影響を直接受けることになった。2.大阪市立大学の中核の形成大阪市立大学の財政状況はどのように推移したのか 公立大学法人化後の大阪市立大学における運営費交付金と専任教員数は、図Ⅶ-1のように推移した。この図からも、また後述のように、公立大学法人化後の大阪市立大学は2011(平成23)年を境に2つの時期―前半期を「中核の形

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