大阪市立大学の歴史
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147 21世紀を迎えて奮闘する大阪市立大学 Ⅶものとされた。ここまでならば、「大阪市立大学基本計画」の柔軟な運用で対応できた。 その後上述の流れの延長線上であるものの、大学政策の大きな変更があった。小泉内閣登場後の「骨太の方針」(「今後の経済財政運営及び経済社会の構造改革に関する基本方針」(2001(平成13)年6月))を受けて、「民間でできることは、できるだけ民間に委ねる」という原則のもと遠山プラン「大学(国立大学)の構造改革の方針」(2001(平成13)年6月)が決定された。 一方で、①国立大学の再編・統合を大胆に進め、国立大学の数の大幅な削減を目指すこと、②法人化等を通じて国立大学に民間的発想の経営手法を導入すること、③国公私を通じた競争的資金を拡充するなどして、大学に第三者評価による競争原理を導入すること、とした(たとえば「21世紀COEプログラム」がこれに当たる)。他方で、大学や学部の設置に係る事前規制を緩和するとともに事後的チェック体制を整備するなど、一層競争的な環境を整備することを通じて、教育研究活動を活性化し、その質の向上を図っていくと考えられた。いわば、国立大学に民間的発想の経営手法を導入することで国際競争力ある大学づくりを目指すとした。その具体的な制度が国立大学法人化だった。 第2に、以上のような国立大学政策の転換をみて、多くの公立大学と同様に、大阪市立大学は危機感をもった。2001(平成13)年度公立大学協会学長会議が「国立大学法人化と公立大学の課題」(2001年11月)で記しているように、国立大学による「国立大学法人」への移行の場合、公立大学にふさわしい「大学法人」としての資格を得られないと公立大学のみが「大学法人」格をもたない大学となって、高等教育制度上根本的なハンディキャップを背負ってしまうと考えた。また、その上で「効率化・独立会計・採算性」のみが求められるならば、公立大学は「自主性・自律性」を持たない教育・研究機関に陥ってしまう、と考えた。大阪市立大学も同じ認識で、「国立大学への民間的経営手法の導入と自主性・自律性の高い大学運営を進めることによって、活力ある個性豊かなハイレベルの教育・研究を行う新しい大学づくりを目指して進められてきた」国立大学と、「教育・研究における厳しい大学間競争と我が国の急速な少子・高齢化の進展を受けて、その生き残りをかけた改革に様々な知恵と工夫を競っている」私立大学とのはざ間での落ち込みを危惧した。

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