大阪市立大学の歴史
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142Ⅵ 「第2世紀」を迎えた大阪市立大学 第5に、教育・研究機関としての活動については、例えば、理学部地球学科が中心となって大阪市立大学阪神大震災学術調査団が結成された。その成果については2回の報告会を経て、公開シンポジウム、国際学術シンポジウムへと結実した。 第6に、その他では、附属図書館が被災地区大学の教員、学生に対して本学図書館の図書閲覧等の利用サービスを実施した(利用延べ人数608名)。また、入試会場を提供した(2月26日の神戸市外国語大学、3月1〜2日の神戸大学大学院経営学研究科)。 本学の少なくない構成員はこの震災を通じて、「人間の死」「恐怖」を体験し、家族のありがたさ、人情の温かさを感じ入り、「献身」の精神と「人間の魂の重さ」を深く心に刻み込んだ。これらの思いの上に、現在の大阪市立大学は存在している。7.学生生活の動向 大阪市立大学における学生生活の動向をながめてみよう。『調査報告』から、授業への出席状況をみると、前章で述べたように1980年代半ばには「常に出席している」「かなり出席」の授業への出席者は6割を超えていたが、1987(昭和62)年版にはその割合が70.3%と7割を超え、1991(平成3)年版にはいったん64.0 %と6割台に戻るものの、1995(平成7)年版には76.4%と7割を超え、1999(平成11)年版には81.1%と8割を超えた。 1991(平成3)年版から実施された、授業やカリキュラムに対する要望(重複回答)では、1991(平成3)年版「もっと興味や熱意が感じられる講義をしてほしい」が44.2%と最大で、次いで「教養課程を減らし、専門教育を充実させてほしい」41.5%、「もっと自由に科目が履修できるようにしてほしい」34.5%と続いてい芦屋市の老人養護施設「和風園」で食事を準備する学生 1995.5.17

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