大阪市立大学の歴史
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137 「第2世紀」を迎えた大阪市立大学 Ⅵ寮は4月5日解体撤去された。これによって杉本寮の33年間の歴史は幕を下ろした。志全寮 次に志全寮についてである。大学は杉本寮問題に対応する一方で、志全寮の正常化にも取り組んだ。前述の、1986(昭和61)年10月の寮正常化の申し入れ時から、志全寮自治会の対応は変化しだした。杉本寮生が、1987(昭和62)年1月に、杉本寮廃寮決定への抗議行動として行った教養部正門のバリケード封鎖を、志全寮生自らが素早く解除したり、同年2月の学生部と志全寮自治会との間で合意に達した合意書締結が予定されていた日、杉本寮生との間で流血事件を起こしていたのである。志全寮と杉本寮は共闘しなくなっていた。 さて、上述の学生部と志全寮自治会の合意とは、入寮者の選考にあたっては、通学条件、経済状況、住宅事情及び家庭環境を選考基準とすること、その選考にあたっては思想信条は問わないこと、その選考は寮自治会が行うこと、寮自治会は入寮者名簿を学生部長に提出すること、寮生は光熱水費を負担すること、入寮募集の方法、入在寮の資格、寮費の支払い方法については今後協議すること等10項目だった。 そして、まずは志全寮自治会作成「入寮てびき」の廃止、大学との共同での「募集要項」の作成、「学生生活のてびき」記載の寮関係部分の修正、縮小といった入寮者募集方法の正常化、寮生による光熱水費の支払について同意できた。また、1989(平成元)年2月には、志全寮への朝食提供を認めることと引き替えに、①入在寮資格として、大阪市立大学学生、大学院生に限ること、休学者は原則として退寮すること、②寮費は個別納入すること、③寮生以外のものの宿泊については長期にわたるものは認めない、短期は寮自治会が管理すること、④在寮年限については合意に向けた協議を行うことで合意した。また、同時に宿泊者については、①宿泊者名簿に記載し,事故、災害等、必要のある場合には学生部A委員会、学生部長は提示を求めることができること、②寮生以外の宿泊は入在寮資格に関連するものとして合意することを覚え書きとして取り交わした。 しかし、合意したにもかかわらず、その直後に出た2名の寮生の休学者を、

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