大阪市立大学の歴史
150/220

136Ⅵ 「第2世紀」を迎えた大阪市立大学5.学生寮問題の解決杉本寮 1986(昭和61)年に新しく学長に就任した崎山耕作は寮問題の解決を大学の最優先課題に位置づけた。そこで、まずは杉本寮への対応を取り上げる。 従来、全学共通経費(教育研究費)を寮の経費にあてていたことをやめる決断を行った。そして、1986(昭和61)年10月に①光熱水費の寮生負担、②入寮希望者の募集は大学が行う、③入寮者の選考は寮自治会が行う、但しその基準は自治会と大学の合意で決める、④入寮決定者に大学が学生部長名で入寮許可手続きを行う、という寮の正常化方針を、杉本寮、志全寮の自治会に伝えた。そして、この結果、寮生が光熱水費を負担しない場合には電気・ガスの停止という事態となることをもあわせて伝達した。 これに対して、志全寮自治会がある程度の理解を示したのに対して、杉本寮自治会は反発した。杉本寮自治会は学生部A委員会との折衝で、「大学は無条件で寮を建て替えよ」「寮費は払わない」「寮生名簿は提出しない」との態度に終始した。他方で、杉本寮の老朽化はすさまじく倒壊の危険性を座視できなかった。そこで、杉本寮自治会に対して、寮費を支払ったうえで正常化にかかわる前記の諸問題をめぐる交渉のテーブルにつくことを求めるとともに、「建て替え」の実現を見るまで、杉本寮生が志全寮に移ることを要請した。ついに12月22日の評議会において、1987(昭和62)年3月末をもって杉本寮廃寮を決定し、告知した。 大学は杉本寮生に対して退寮の説得を行い、また移転経費の支援のため募金活動をもおこなった。こうして、1987(昭和62)年3月31日杉本寮は廃止された。しかし杉本寮生は、全員すぐには退寮しなかった。電気、ガス供給停止後の4月6日、元杉本寮生7名、廃寮後に入寮した不正入寮者1名は大阪市を相手取り「送電並びにガス供給妨害禁止等仮処分命令」を大阪地方裁判所に申請した。これに対しては大阪市も受けて立ち、7月10日大阪市の勝訴となった。しかし、仮処分決定後も杉本寮に住み続け、無断で関西電力と契約しようとしたことから、今度は大学が、11月に「元杉本寮明渡等請求訴訟」を起こし、1989(平成元)年11月裁判所による和解勧告が出され、1990(平成2)年1月和解が成立して、

元のページ  ../index.html#150

このブックを見る