大阪市立大学の歴史
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135 「第2世紀」を迎えた大阪市立大学 Ⅵムニバス方式で1990(平成2)年度から一般情報処理教育を開始した。当初教養キャンパスに総合教育棟を建設し、その中に情報処理教育施設を整備するという計画で進んだ。しかし、バブル崩壊後の大阪市財政の悪化などから、学情センターに続いて総合教育棟の建設は困難になったと判断され、学情センター9階の情報処理関連施設を一般情報処理教育用の教室向けに変更した。 以上のように、図書館のイメージを一新して「学術情報センター」として再出発しようと計画を進める過程で、計算センターと一般情報処理教育を有機的に結合しようと「総合」の名が追加され、「学術情報総合センター」の名称が用いられるようになった。当初はあくまでも仮称だったが、そのまま正式名称となってしまった。英文名称は単純に「Media Center」とされた。 前述の「分置制度」は「長期貸出制度」として運用され、各学部の機関の「資料室」あるいは「共同研究室」は学情センターの機関としての「サブセンター」に編成替えされ、教員が研究費で購入した図書等は学情センターからサブセンターに搬送され、そこで受け取ることができた。また、大阪市民に開かれた大学を目指す本学は、大阪市内に在住か、大阪市内の企業等に勤務の成人(大学生を除く)を対象に、登録料を納めてもらった希望者にはほぼ学生並みのサービスを提供するという市民開放制度を開始した。 なお、本学の歴史に関する資料等の収集、整理及び保管を行い、今後の大学史編集に備えることを目的として1988(昭和63)年に設置された大学史資料室が、学情センター内に移転した。学術情報総合センター

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