大阪市立大学の歴史
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134Ⅵ 「第2世紀」を迎えた大阪市立大学なぜ新営図書館が「学術情報総合センター」になったのか それは従来の図書館形態ではなく、附属図書館、計算センター、一般情報処理教育の3つの機能を有機的に結合したものとして高度情報化時代の本学の総合的な学術情報の拠点となることを目指したからだった。 附属中央図書館は業務の電算化を達成し、それによって新たな高水準の情報サービスを提供することを目指していた。重厚な建物と専門職員の知識と人的サービスを中心としていた古い図書館から脱皮して、コンピュータをフルに活用し、情報処理の効率化を実現することを目指した。 他方で、当時、学内にはコンピュータ利用に関連する施設として計算センターと学生に対する情報処理教育を担う部署が存在していた。前者の計算センターについては、1968(昭和43)年に設置されて技術主査と職員各1名をもつだけの、きわめて小さな組織だった。しかし、理科系を中心に、コンピュータの利用は研究上、必要不可欠となり、文科系でも研究にコンピュータを利用する教員は増加しつつあった。そこで、計算センター内の議論において、それまでの研究面での利用にとどまらず、一般情報処理教育や事務管理にもひろげる「総合情報センター」を設置すべきであるという点に到達した。そこで、1990(平成2)年6月、当時の計算センター所長は評議会に対して『情報処理センター構想(案)』を提出して情報処理センターが独自の教員組織をもつべきことを提案した。ここに至って、議論が先行していた附属図書館と計算センターとの連携・融合が模索され始めたのである。 後者の情報処理教育については、本学におけるコンピュータ環境の整備が遅れていたこともあって、学生に対する情報処理教育は決定的に立ち遅れていた。特に、理科系学部では専門課程に入ると当然のようにコンピュータを駆使する必要に迫られるが、学生は入学後2年間の課程でほとんどコンピュータに接触する機会をもてなかった。またコンピュータを利用して研究・教育を進める文科系の教員の間でもそうした問題点が指摘されていた。評議会が設置を決定した情報処理教育開設検討委員会は1989(平成元)年7月、『教養教育における情報処理教育の推進について(答申)』を評議会に提出した。その中で情報処理教育の早期実施の必要性と専任教員2名を含む基本体制の整備を訴えた。他方、全学の情報関連教員のボランティアで、つまり各学部での担当コマ数とは別にオ

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