大阪市立大学の歴史
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132Ⅵ 「第2世紀」を迎えた大阪市立大学ができなかった結果としての「中途半端な集中制」だった。もちろん、杉本キャンパス全体が比較的コンパクトにまとまっており、ほぼ平面に立地しているという地形の問題も関係していた。 第2は、図書館本館も不十分な整備しかできていなかったことである。学生数、教職員数、蔵書数などの大幅な増加に対しては、1959(昭和34)年の第2書庫、1970(昭和45)年の新閲覧室、1976(昭和51)年の第3書庫の増設でしか実現できず、閲覧席数はもちろん事務室や書庫も不足することとなった。そのため、その書庫も図書・資料であふれ、壁際の通路に横積みされる状態だった。横積みされた図書は存在が確認できても、ほとんど利用できなかった。附属図書館には、経済学の祖といわれるアダム・スミスの『国富論』をはじめ、トマス・ロバート・マルサスの『人口論』、カール・マルクスの『資本論』など、重要な古典の初版本など多くの貴重書を含むゾンバルト文庫、福田文庫、新村文庫などの文庫を有していたものの、それらは1号書庫の一画に金網で囲われて保存される有様だった。毎年新規に購入される約5万冊の図書もほとんど図書館に引き取ることはできず、学部の研究室で何とか管理してもらうしかなかった。それが「分置制度」という形となって現れ、本来図書館の管理下にあるはずの図書が教員個人の研究室あるいは教員グループの「教室」に置かれ、管理された。 また、図書館書庫に空調設備はなく、夏は猛暑、冬は厳寒の中で資料は保存され、職員もその中での作業を強いられた。男子職員は夏には下着姿で作業したという伝説が伝えられるが、冬は全員が防寒コートを着用しなければ書庫に入ることはできなかった。 第3は、図書館側からの真摯な、しかし切羽詰った要求を、全学的にも受け大阪市立大学のキャンパスは映画の撮影にピッタリ?学術情報総合センターや法学部棟など、背の高い建物がいくつかあるものの、基本的には低層の学舎が立ち並び、都心部からも近いキャンパスである大阪市立大学。実は、大阪市立大学のキャンパスは映画の撮影や、テレビ撮影で利用されている。例えば、NHK朝の連続テレビ小説(2003年度下半期)「てるてる家族」では出演者の通う大学として紹介する際、本学1号館の正面入口と中庭が使われていたのである。他にも「絵になるところ」はあるように思う。自ら探してみてはどうだろうか。

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