大阪市立大学の歴史
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131 「第2世紀」を迎えた大阪市立大学 Ⅵどを備えた大学キャンパス」を目指すとされた。つまり、「1号館前から理系ゾーンの中央に伸びるグリーン・モールと、これと直角に教養ゾーンにいたるモールを、T字型のユニバーシティ・モールとして重視する。このモールの雰囲気を高めるよう、情報、エネルギー、交通等に関する施設は集約化・地下化する。」というキャンパス・アメニティの向上と、インテリジェント化された図書館や教養教育棟などの整備を描いていた。 その後、より具体的なステップが決められた。第1ステップでは、共通基盤の形成として、学術情報総合センター及びLANの建設、法学部棟の建設、教養実験・研究棟の建設、阿倍野キャンパスの附属病院の建替整備、理学部附属植物園の整備があげられた。第2ステップでは、教養施設の整備と周辺市街地との調和として、JR杉本町駅前の整備(理系地区のJR沿い)、理系実験・研究棟の建設、総合体育館及び総合教育棟の建設、阿倍野キャンパスの医学部学舎の整備があげられた。第3ステップでは、大学会館など文化施設の建設として、学生施設(学生ホール・部室・厚生施設機能)、生活科学部棟の建設、文化施設(大学会館)の建設があげられた。第4ステップでは、文系・理系学舎の整備として、文科系学舎の高度利用を含めた整備・建設、理科系学舎の整備・建設があげられた。 1994(平成6)年6月の「大阪市立大学基本計画改訂版」では、「より豊かなキャンパス・ライフをもたらす大学」というように、キャンパス・ライフの充実を目指すという、ソフト面の充実にまで向かうことが打ち出された。 さて、このキャンパス整備において、最大の焦点だった学術情報総合センターがどのように建設されていくのか、を次にみよう。学術情報総合センター(学情センター)の開設 学術情報総合センターの設立は、基本計画で初めて登場したわけではなかった。旧図書館時代からの宿願が実った結果であった。旧図書館の以下のような事情、問題点が学情センターの建設の経緯に反映している。 第1は、Ⅳ章でも述べたように、本学附属図書館が基本的に集中方式をとってきたことである。とはいえ、それは戦後、理科系学部から始められた学舎整備に追われて、総合大学としての図書館体系の整備に手が回らず、分散的整備

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