大阪市立大学の歴史
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121 諸困難のなかで進められた総合大学としての本格的な整備 Ⅴ この結果、図Ⅴ-3にある通り、大学紛争以降、大学生活に対する学生の満足度が上昇したものと考えられる。 本学学生は、以前のような政治志向の高い学生像から、サークル、クラブに精を出す当時のごく普通の学生像へと変化したといえよう。とはいえ、大学紛争以前から行われている伝統的な三商大討論会(一橋大学、神戸大学、大阪市立大学の間の学生主催によるゼミ討論会)は、大学紛争後にも、そしてサークル、クラブの全盛期でも、途切れることなく続いていた。勉学への希求は途絶えることなく受け継がれていた。6.同和問題への対処 1960(昭和35)年に国会において同和対策審議会設置の法律が可決され、1965(昭和40)年同和対策審議会答申が出されて同和教育の進展が目指された。 以上のような流れの中で、本学では、1961(昭和36)年10月に教養学舎の教室で、家政学部の一女子学生に対する差別・中傷のビラがはりだされた。この事件をめぐって部落解放同盟大阪府連合会と大学との会見が行われ、1962(昭和37)年1月に第1回同和問題委員会を開催するなどして、その後の再発防止に取0%20%40%60%80%100%1971年1975年1979年1983年回答なしかなり不満どちらかといえば不満どちらともいえないどちらかといえば満足しているかなり満足している図Ⅴ-3:大阪市大入学の満足度出所)学生部『学生実態調査報告』各号より作成。

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