大阪市立大学の歴史
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105 諸困難のなかで進められた総合大学としての本格的な整備 Ⅴプ同窓生の尽力で、松下グループ(松下電器産業、松下電工)からの寄贈となり、1980(昭和55)年7月に、都市問題資料センターは竣工した。2.学生定員数、競争率の推移 1960年代、団塊の世代が大学入学の年齢に達するため、大学入学希望者が激増すると予想した文部省からの要請を受けて、大阪市立大学の各学部は学生定員を増加させた。その結果、1960年代初め4000人強だった学生数は70年代半ばには6500人を超えるほどに増加した。折からの受験競争のなかで、伝統を有する名門大学であり、就職が良好だったこともあって、図Ⅴ-1のように1960-70年代の大阪市立大学の競争率は上下するものの、概して高かった。3.混沌とする学内事情大学紛争とは何か 1968(昭和43)年から69(昭和44)年にかけて、日本大学、東京大学における02468101214倍195919621965196819711974197719801983196019631966196919721975197819811984196119641967197019731976197919821985商学部経済学部法学部文学部理学部工学部医学部家政学部図Ⅴ-1:大阪市立大学学部別競争率の推移出所)『大阪市立大学百年史・全学編』、1184-1186頁より作成

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