大阪市立大学の歴史
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103 諸困難のなかで進められた総合大学としての本格的な整備 Ⅴ47)年2月、旧法学部棟が1973(昭和48)年9月、商学部棟が1976(昭和51)年3月と続いた。大阪商科大学時代の学舎しかなかった教養教育関係では、4号館が1965(昭和40)年3月に竣工した。 学生関係の主な建物では、第1学生ホールが1961(昭和36)年7月、第1合同部室が1967(昭和42)年3月に、第1音楽練習室が1968(昭和43)年5月、第2体育館と新武道場が1969(昭和44)年8月、グランドハウスが1970(昭和45)年11月、第2学生ホールと洋弓場が1975(昭和50)年3月というように順次完成されて学生のクラブ、サークルの活動をようやく保障できるまでになった。 図書館については、旧図書館第2書庫が1959(昭和34)年11月に完成し、第1書庫と第2書庫の間にエレベーターが取り付けられて2つの書庫の断層を調整した。その後、第2書庫の壁を撤去する形で第3書庫が1976(昭和51)年8月に完成した。ここにおいて、医学部を除くほぼ全学部の図書を収蔵することができるようになった。上掲は旧図書館の写真である。 医学部については、1950年代半ばから建設が続けられた。まず、戦後新たに建設され、当時東洋一といわれた病院旧北館、看護婦宿舎が1956(昭和31)年3月、医学部旧西館が1957(昭和32)年12月、臨床動物舎が1959(昭和34)年3月と竣工した。そして、大阪市会からも大きな期待を寄せられた病院旧南館(ガンセンター)は1961(昭和36)年2月に完成した。1967(昭和42)年11月には病院東館が完成して旧館とあわせて全体で総ベッド数は約1200床となり、当時西日本では最大規模となった。また看護専門学校は1973(昭和48)年3月、医学部南館は旧図書館(現在は学生サポートセンター)

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