大阪市立大学の歴史
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100Ⅳ 総合大学・大阪市立大学の誕生6.創設当時における市民との関わり 現在、大阪市立大学では大阪駅前第2ビルにある文化交流センターを中心に、多くの市民講座を行って市民との関係を築いている。実は、本学は創設期より、市民向けの講座を設けて活動していた。まずは、文学部の教員等を中心に結成された文学会が主催して、1949(昭和24)年から57(昭和32)年にかけて毎年5日間程度「夏季文化講座」が開催された。毎日平均100名を超えるほどの盛況だったという。また、家政学部でも1950(昭和25)年から66(昭和41)年まで公開講座を開催した。以上のような学部単独の市民向け講座は、たとえば、1961(昭和36)年から全学で主催された「婦人の夏期大学講座」のように、その後の全学的な市民講座へと発展していった。 また市民向けの相談室も開設されていて、1950(昭和25)年から家政学部児童学研究室にて相談日が設けられ、翌1951(昭和26)年から児童相談室が開設された。法学部では、1950(昭和25)年から法学部無料法律相談所が開設され、市民の法律相談として重要な位置を占めている。 大阪府交野市私市にある理学部附属植物園も、現在では大阪府民の憩いの場となっている。そもそもは、1941(昭和16)年、大阪市社会部の興亜拓殖訓練場として開設され、満蒙向け移民の訓練が行われていた。1945(昭和20)年に大阪市経済局農事練習所へと移管され、敗戦後の引き揚げ移民の処理、農事指導が行われた。1950(昭和25)年大阪市立大学創設とともに大学に移管され、理工学部附属植物園となった。現在は、甲子園球場6個分、25.5haの広さであり、日本を代表する11種類の森や、世界各地の森が再現、展示されている。居ながらにして日本や世界の森を体験することができる非常にユニークな植物園である。植物園では、現在、環境問題プロジェクトを進めており、例えば森のもつCO2吸収機能や森における絶滅危惧種や稀少種の生息状況を調べている。 以上のような市民講座、相談室のような活動以外に、専門性を生かした社会活動もなされてきたが、その中でも重要なものとしては以下があった。まずは、水爆実験での被災マグロ調査と原水爆禁止運動発展への貢献である。1954(昭和29)年3月16日大阪中央市場に、米国水爆実験に被災した第五福竜丸から水揚げされた汚染マグロ19本の入荷が判明した。そこで、大阪市衛生局の依頼で大阪

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