大阪市立大学の歴史
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98Ⅳ 総合大学・大阪市立大学の誕生5.創設期の大阪市立大学生創設期の大阪市立大学生 大阪商大事件を経験したことや総合大学として大阪市立大学が発足する際の商学部独立には学生の強い要求があったこと、杉本校舎返還運動の際は教職員とともに大多数の学生が参加したことにみられるとおり、創設期の学生は政治に強い関心を持っており、関西の学生運動の中心を担うほど活発に行動した。例えば、1948(昭和23)年9月全日本学生自治会連合会(全学連)結成を受けて、同年11月全大阪学生自治会連合(府学連)を結成した際、阪大、浪速高校と共に参加した。また、1950(昭和25)年はじめ本学自治委員会は、アルバイト学生への課税免除、失業保険の適用を求める運動に取り組んだ。 もう一方で、本学は「アルバイト大学」との異名を持つほど、学生は貧しく、アルバイトに精を出していた。1951(昭和26)年8月30日『朝日新聞』の報道によると、本学アルバイト委員会への登録学生は1277名で、在籍学生の52.8%に上っていた。またその登録学生は、「両親その他から学資提供を受けているもの」531名(登録学生の41.6%)、「出資者なくアルバイトでの学資稼ぎをしているもの」571名(同上44.7%)となっており、自らの学費稼ぎのためにアルバイトをしているものの方が多かった。授業料未納者も多数生じており、1952年2月の未納率は大阪市大17%、大阪商大44%となっていた。アルバイト委員会が登録学生に斡旋したアルバイトの職種(延べ14万3713人)では、事務系統55.5%、肉体労働24.0%、軽作業11.4%、店員2.4%、その他6.7%となっており、従事時間の割に給料の良いことから肉体労働に従事するものが多かった。なお、以上のような学生運動やアルバイト、次の学生寮等学生との関係を重視する本学は、学生との対応窓口として1949(昭和24)年7月に学生部を設置した。その存在は大変重要だった。創設期の学生寮 現在、本学には留学生宿舎以外学生寮は存在しないが、創設期には3つも存在したことがあった。都島区高倉町にあった都風寮(1951〔昭和26〕年3月都島工専から引き継いだもので、正式には1956〔昭和31〕年7月の引継ぎ)、千里山

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