大阪市立大学の歴史
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96Ⅳ 総合大学・大阪市立大学の誕生恒藤の理想に従って、他大学とは異なるあり方となった。多くの国立大学で独自の教員スタッフを擁する教養部が教養教育を担ったのに対して、本学では各学部の専門教育担当者によって教養教育が担われる「教養兼担方式」が採られた。とはいえ、1955(昭和30)年の改正学則において教養課程、専門課程が時期的に分離され、1957(昭和32)年教養部が設置されると、「教養兼担方式」の難しさが実感された。というのは、教養教育と専門教育との間に存在する格差意識を薄めるという利点がある反面、教養教育に対する認識が十分でない場合には各学部の教養教育への責任感を希薄化させる恐れがあること、さらに、教養部の性格のあいまいさは教養部運営委員会を各学部の意見調整機関化させる傾向があり、結果として教養教育への無責任体制化の危険をはらんでいたのである。 第2に、本学には、昼間仕事をして夜間に大学で勉学する勤労学生のために、第2部という夜間課程が設置されたことである。この制度は、大阪市からの強い要請に応じて設けられたものであった。1950(昭和25)年4月より、商・経・法文各学部に夜間課程として併設する形で発足した。授業は各学部ともに第1部の教員が兼担するものとされ、理念的には1部と2部は同じと考えられた。 第3に、早い時期から、「学術の理論及び応用を教授研究し、その深奥をきわめて、文化の進展に寄与することを目的とする」大学院が設置されたことである。1949(昭和24)年設立の新設大学は1953(昭和28)年3月には第1回の卒業生を送り出すことになった。そこで、その新制大学を卒業して大学院に進学する者を収容する研究科設置が必要だと考えられた。このとき本学は積極的に大学院の設置を検討したのである。1953(昭和28)年4月には経営学研究科、経済学研究科、法学研究科、文学研究科、理学研究科、工学研究科、家政学研究科(当時、家政学の分野では大学院の設置は全国で初めて)を設けて修士課程をおき、経済学研究科、法学研究科には博士課程を設けた。医学研究科は1958(昭和33)年に設置された。博士課程が置かれなかった研究科については、その後、経営学研究科1965(昭和40)年、文学研究科1955(昭和30)年、理学研究科1954(昭和29)年、工学研究科1959(昭和34)年、家政学研究科1975(昭和50)年と順次博士課程を開設して大学院が整備された。なお、同じ1953(昭和28)年に東大、京大、阪大等旧帝大や一橋大学、神大の旧商科大学が大学院を設置しており、まさに本学はそれらの国立大学を意識した、高いレベルを志向したのであった。

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