大阪市立大学の歴史
102/220

88Ⅳ 総合大学・大阪市立大学の誕生学風をかたちづくって行くことを念願して居り、各種の分野において社会の実用に役立つ研究成果を挙げると共に、社会のさまざまの方面の職域において真に有能なはたらきをなし得るような人間を養成することを期している… その際、新制大学では一般教養科目の学修の上に専門科目を学修することによって、人間的ならびに国民的教養と共に専門的な教養をも併せて身につけ、新しい日本の社会における中堅層をかたちづくるにふさわしい人々を社会に送り出すことが期待されている、とする。この点で本学においては教養学部をおかずに、各学部に所属する教員が一般教養科目も担当するという教養兼担方式を採用して、教養教育においてもレベルの高い講義を目指した。3.決して順調ではなかった創設期創設期の大阪市立大学は「タコ足」大学だった 大阪市立大学が発足した際、各学部の学舎は市内の各所に分散していた。発足当時、医科大学はまだ統合されていなかったのでそれを除くとして、事務局、商学部、経済学部、法文学部、経済研究所は道仁校舎(南区南綿屋町の元道仁小学校)に、商学部、経済学部、法文学部の研究室、旧制大阪商科大学の学部・予科・高商部、付属図書館は明治校舎(南区阿波座中通の元明治小学校)に、理工恒藤恭学長近藤博夫市長

元のページ  ../index.html#102

このブックを見る