大阪市立大学の歴史
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87総合大学・大阪市立大学の誕生 Ⅳ 大阪市会定例会に「大阪市大学設置の件」が提出された際、近藤市長は以下のような提案理由を述べた(この時には「大阪市大学」とされていた)。 この大阪市大学の設置は我が大阪市民に、その子弟を他の都市に入学せしめることにより起きまする経済的負担を軽減する点から考えましても是非とも実現致したいと思うのであります。なお現在各方面に地方分権の必要が強調されておりまする通り、文化面の地方分散も同様に重要と存じまするが、この大学の設置は文化の地方分散の一助ともなり、高等学校以下の学校教育に与える影響もけだし少なからんものがあると存ずるのであります。又大阪市は御存知の通り全国一の商工都市でありますから、国際関係の緊密になった今日相当の文化施設をもたなければ将来の世界的商工都市としての権威にも拘わるものと思いますから、その意味合におきましても、本市が自らの手で総合大学を設けることは洵に重要な意義があると存ずるのであります。 また、近藤市長は大阪市立大学の開学式の際に以下のように思いを吐露した。 大阪市立大学は大阪カラーの豊かな大学にしたい。同時に大阪市は大学カラーの豊かな、知的な文化都市にしたいというのが本大学設立に込められた願いであります。即ち、本大学は所謂専門的な学識と技能を持ち、実際生活、実際活動に役立つ教養ある市民、良識ある社会人を作ることを目標とするものでなければならないと考えております。 だからこそ、近藤市長は、大阪に関わる多くの人々を集めて、総合大学大阪市立大学を立ち上げようと決意したのである。 以上の近藤市長の思いに応えようと、恒藤恭学長は次のような高い理想を掲げた。 従来のわが国の大学は、とかく社会の現実から遊離した在りかたを保ちがちであった、と批判されている。大阪市立大学はあらたに発足するに当り、ここに述べたような事態を特に考慮して、理論と実際との有機的な連結を重視する

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